トップ戦績・特集08年度夏の県大会>準優勝、ふたつのサイドストーリー

大変なこともあるけど、最後まで腐らずにやれば、絶対いい結果が出てくる。
後輩たちもそれを励みにしてほしい。絶対甲子園に行ってくれ

これは、主将・荒木直人から送られた後輩へのメッセージです。

SIDE 1 ―最高の恩返し

 腐らずにやれば・・・このとき、名前を出したのが、高田裕一朗だ。
9番打者ながらチームトップの結果を残し、捕手として盗塁はすべて刺した。
頼もしい扇の要が、チームを準優勝に導いた。

多くの選手がコンバートを経験していくなか、捕手一筋。
入部当初から「強肩だけは、誰にも負けたくない」と話していた。
毎日、備前市の伊里から1時間以上かけて通学している。
帰りの電車は21:24発を逃すと、22:01、22:53と間隔が空いてしまう。
遠いですよ〜」とは言うが、言い訳は一度も聞いたことがない。
承知の上で、関西で野球することを選んで入った。

新チームで背番号2をつけたのは吉村勇人だった。
吉村はもともと内野手だったが、次第に捕手に魅力を感じていった選手。
内角を突く強気なリードで重友翔太も信頼を置いていた。
さらに、吉村には打撃という大きな武器があった。
僕はバッティングが課題なんです。練習してるんですけど・・・」(高田)
結果はなかなか出ない。気が優しく、緊張しやすいのも影響していると思われる。

さらに、今年の冬、他の同級生とともに謹慎を命じられ、グラウンドから離れた。
ノートと向き合って反省文を書く毎日。
いつ、野球部を辞めてもおかしくない精神状態だった。
しかし、それを支えてくれたのは、他の誰でもない、江浦監督だったという。
こんなこと(不祥事)をした僕たちにも監督さんは面倒をみてくれました。
最後まで頑張って、恩返しをしないといけないと思いました

5月、吉村が一塁へコンバートされて、自分にチャンスがまわってきた。
願ってもない瞬間だったに違いない。
高田はそれに甘んじず、練習に励んだ。だから、今大会の活躍があったのだ。

作陽戦、9回2死満塁。打てば逆転サヨナラ勝ち、凡退すれば敗退が決まる
イチかバチかのシーンで打席に立った。
打球は中前へ飛んでいき、ヒーローになった。
高田は、崖っぷちに強い男(好きな言葉)へと成長した。

最後まで干さずに見続けてくれた監督さんたちに感謝の気持ちでいっぱいです!

SIDE 2 ―こころの成長

 長安駿作。何を考えているのかよくわからない、不思議な選手。
1、2年のころは話しかけても、一方的に話されて終了・・・
おしゃべりだが、コミュニケーションが成立しない。
チームでも屈指のやんちゃ坊主だった。

1年のころから強肩、俊足の選手として目立っていた。
1年秋は一ケタの背番号をつけ、07年センバツでもベンチ入り。
野球センスはピカイチだった。
長安は投手にこだわっていた時期があった。
上背もあり、ボールにもスピードがある。新チーム直後は投手メニューをこなしていた。
しかし、コントロールが安定しない。首脳陣は野手に専念させることを決意。
そのせいなのかわからないが、むしゃくしゃしているようにも見えた。
疲れた」、「だりい」など、マイナスな発言ばかりだった。

今年5月、約4ヶ月ぶりにグラウンドへ行くと、長安の態度に変化が見られた。
毎日のように、自ら残ってバットを振っている。
表情が引き締まり、いたずらっぽさが消えていたのだ。
その証しに、5月中旬からバッティングの調子が良くなった。
6月の猛練習を経て、7月初旬の練習試合でも好調をキープ。
最後の夏へ、早くから気持ちを切り替えていた。
春の県大会初戦でコールド負けした危機感などもあったと思われる。
もう一つは、将来のこと。
長安は関東方面への進学を考えていた。
関西の選手は、近畿圏への進学を希望する選手が多い。
関東方面へは、よほどの覚悟と向上心がない限り、なかなかいない。

夏の大会、長安は打ちまくった。
26打数11安打。長打あり決勝打あり、トップバッターとして、最高の役割を果たした。

優勝したかったです。すみません。でも、自分がこんな打てるなんて思わなかったです。
なんで?ん〜よくわかんないっす(笑)

今までにないくらい穏やかないい顔をしていた。
そして決勝戦翌日、周囲への感謝を綴った長文メールが届いた。
自分が野球に対する気持ちが変わったのは、
関西で出会った監督、コーチ、そのたいろいろな人に出会えたからだとつくづく思いました。
関西で教わったことを忘れずに上でも頑張ります。
目標や意識を高く持てば必ずいい結果がついてくると思いますので、目指すはプロです
」(一部を抜粋)

こんなことを言える選手になっていて、とてもうれしかった。
準優勝はたしかに悔しすぎる結果だ。
でも、長安を見ていたら、甲子園出場がすべてではないと思った。

最後に荒木は、3年生父兄を前にこう言った。
いつか、子どもができたら、絶対関西に入れて、
自分のことを犠牲にして子どものために何かしてあげたい

 

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