「どこまで勝ち上がれるか、正直わからなかった」 “ここ(ベスト8)まで”ではなく、どこまでかわからない。 弱い、弱いと言われ続けたチームだった。 課題と言われた下位打線。 7月の東海遠征。 |
20人の絆。 坂口世代を一言で表すなら、これに尽きるだろう。 それは、ベンチを外れたスタンドを見れば一目瞭然。 1年生まで足並みの揃った必死の応援。目を奪われるものがあった。 それを引っ張る岡前と藤原。 2年生の時、2人は久保とともに、長期間謹慎していたことがある。 来る日も来る日も草むしり。グラウンドの隅っこで小さくなって立っていた。 実はこの学年は、入部当初30人以上の部員がいた。 しかし、日に日に辞めていき、20人にまで減ってしまった。 3人は退部ラッシュの流れに乗ることなく、更生の道を歩み、復帰していたのだ。 「坂口。あのときはごめんな」と、けんかをした岡前が謝罪。 久保は涙が止まらず、言葉にならなかった。 そういえば、引退試合の最終回、2年生がベンチ最前列まで来て応援してくれた。 入部間もない渡辺雄は「3年生、最高に好きです」と笑っていた。 1年生が最上級生にこんなことを言うとは・・・。初めて聞いたかもしれない。 坂口世代になってから退部者がグンと減ったのも事実。 緑川、梅澤、寺嶋は「名古屋から来て良かった」と全く同じことを言っていた。 たくさんの努力、思いが凝縮された夏。 倉工戦、最終回。坂口が代打で打席に立つと、 「本当に支えられた1年だったと、ひしひしと感じています。 |
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最後に私事ですが、この場をお借りして
保護者の皆さんには心から「ありがとうございました」と言いたいです。
部の環境作りに徹し、なおかつ一歩下がって野球部を見守り続けていました。
特に、他のお子さんを自分の子どものように応援するところが大好きでした。
いつも温かく接していただきありがとうございました。
皆さんと一緒に応援できた時間は、とてもいい思い出になりました。